何故私は髙地優吾を推すのか。
熱意をそのまま文章にすることが苦手だ。
好きなものがあったら、好きとしか思わないし、心が揺さぶられたら揺さぶられたなと思う。
そういう単純な人間である、私は。
ただ、ずっと思ってた。
みなさんの書く、熱意のあるブログが羨ましくて、羨ましくて、それはそれは羨ましくて。
元来、負けず嫌いな性格である私は、ついにこうして筆をとったわけである。
今まで、YouTubeとか記念日とかを理由にしてブログを書いてきたけど、ついにこうして「何故私は髙地優吾を推すのか」ということについて、やっと書くのである。
髙地くんと出会ったのは、2018年。
YouTubeのアーティストプロモキャンペーン。
そのときは、JAPONICA STYLEの扇子をひらひらしてる子、そう認識していた。
推したきっかけは、Amazing!!!!!!。
何度も言ってるけど、「愛が欲しけりゃ 任せろLOVE」だった。
あの笑顔を見たとき、衝撃が走ったのを覚えてる。
こんな感覚は初めてだったから、どう言語化するべきか悩ましいのだけれど、
その笑顔に目を離せなくなった。
何度も何度も、昔のビデオテープだったら擦り切れるくらいに再生した。
そして、何度も髙地くんは私の心を奪った。
そこから数ヶ月はそれはもうお祭り状態で。
だって、こんなに何かにハマったことがなかったから。
頭の中の99%は髙地優吾が占めていたし、口から溢れる内容も99%が髙地優吾だった。
こういうと、みんな比喩だと思うかもだけど、マジだった。
友達から引かれて、あやうく失いかけるくらいには話していた。
黄色を見ると髙地優吾を連想し、ハリネズミを見ると髙地優吾を連想して、ハートマークを見れば髙地優吾を連想していた。
側から見たら、ただの変態だった。
初めてこんなに好きになった人、それが髙地優吾だった。
では、本題。
何故私がこんなに髙地優吾に惹かれたのか?
最初の頃は単純に依存だったと思う。
失恋を繰り返して、好きでもない人と付き合って、何にも楽しいことがなくて、ふらふらした私はあの笑顔と出会って、恋に落ちたのだろう。
誰かのために生きるのって、そう誤魔化して誰かに依存して生きるのって、凄く楽だから。
髙地優吾に出会って不自然なまでに笑顔になった私に反動がくるのはもうちょっと後の話。
さて、そんな依存だけど、恋愛と一緒で大体3ヶ月で終わりを告げた。
話す内容から髙地優吾は綺麗さっぱり消えたし、私の頭の中からも比率がどんどん低くなっていった。
このとき、私は髙地優吾を推していると言っていたけれど、口ばかりだったと思う。
成り行きで髙地優吾を推していた。
この言い方は失礼かもだけど、事実だからな。
だから、一旦私は箱推しになった。
ちょうど、その頃から忙しくなったのもあって、SixTONESからも距離を置くようになった。
YouTubeだけ追ってたと思う。
だって、めちゃ忙しかったんよ。
すきま時間も勉強しないと追いつかなくて笑笑
こういう時期、誰にでもあるよね!ね!
そんな私がまた髙地くんに惹かれたのはおそらく”Laugh” In the LIFEだったと思う。
SixTONES - "Laugh" In the LIFE (FocusCam @ Osaka-Jo Hall "CHANGE THE ERA -201ix-") - YouTube
それはもう笑顔が素敵で。
ジーパンにTシャツに、キラキラ笑顔は、それは恋じゃん、って思った。
のもあるけれど、本当はあの笑顔に憧れた。
こっちも元気になれる笑顔って、あのことを言うんだなって思った。
あんな人になりたいと思った。
そして、私は再び髙地優吾を推すことになった。
私が今髙地優吾を推す理由、それはきっと「憧れ」だ。
ちょうど就活が始まったこともあって自己分析を繰り返すなか、私の理想像がどうしても髙地優吾だった。
髙地優吾みたいになりたかった。
いつもニコニコしてて、みんなから好かれていて、でも自分の意思はしっかり持っていて、趣味もあって、気遣いができる、そんな大人になりたかった。
優吾のあしあとも然り。
ていうか、ブログがより一層その想いを強くしたと言っても過言ではないのだけれど、
世間の動き、ファンの反応、テレビの出演、自分の好きなこと、様々なトピックをこんなに癒しのオーラを纏って紡げる人ってそんなにいないと思う。
入所日のブログだってそうだ。
黒い過去だって、髙地くんはあんなに前向きな内容にしてしまう。
髙地くんはいつだって「誰かを思う」ということを自然にやっていて、驚いてばかりだ。
私にはできないことばかりだ。
だから、憧れた。
いつか髙地くんみたいに、誰かを癒せるような笑顔にできるような存在になりたいって。
私の周りの人だけでも幸せにしたかった。
あと一つ、私が髙地優吾を推す理由。
それはきっと未知数なところだと思う。
SixTONESが地上波の音楽テレビに出るようになってから。
髙地優吾の覚醒がヤバすぎたのをみなさんは記憶しているんだろうか?
SixTONESのCinderella girl然り、
(あのときのゆごほくはやばかった。対照の位置にいる二人の顔がさながら歴戦の勇者。)
RAM-PAM-PAM然り、
(まず衣装が似合ってた!それに加えて、見たことのない程の色気、挑発するような眼差し。やばかった。)
Imitation Rain然り、
(後ろでハートポーズはやばいけどさ、アップの顔が決まったときのが、顔がぁぁぁぁぁぁ)
Telephone然り、
(RAM-PAM-PAMとは違う色気、スーツが似合ってたし、なんと言ってもあの綺麗な足、アップになったときの顔、撃ち抜いてきたときに私の心も打ち抜かれました。)
曇りのち快晴然り、
(あれは元気な髙地くんだったけれど、なんかこう大人だったんですよ。いろいろ経験してきて、やんちゃしていた時期があって、今はこうやってみんなに笑顔をあげるよって感じでした、はい。髙地優吾の集大成だった。可愛かったし、かっこよかったし、頼もしかったし、癒しだった。)
NAVIGATOR然り、
(いや、黒髪が長くなると破壊力が二倍になるんですね。えっ、いつからそんなにかっこよくなったんですかね、大人の色気が凄いし、アップになるたびに心臓止まるんですけど。)
うん、今覚えてるだけでも、こんなにたくさん髙地優吾覚醒してました。
YouTubeのイメージと、こう音楽番組の変化が著しくて、
今回はどんなステージを魅せてくれるんだろうとワクワクする。
そんな未知数なところに、いつも振り回されてるし、元気をもらってる。
あ、これがアイドルですね。
最後に、まとめ。
つまるところ、私が最初に髙地優吾を推していたのは依存だったけど、
今は憧れと未知数の魅力に惹かれて、推している。
こんなに誰かにハマったことは初めてだから、これからどんな心境の変化があって、どんなことになるのかは想像がつかないけれど、
これからもちゃんとこうやって文字にしていこう。
さて、こんな風にだらだらと熱意を文章にしてみました。
みましたよ。
熱意、あるよね?ね?
やっぱり苦手だな笑笑
まぁ、私は私らしくゆる〜くブログを書いていこう。
どうせ、自己満足。
こんな自己満足の文章を読んでくださって、ありがとうございました。